なぜ修理人になったのか
1/1(イチブンノイチ)フィルムカメラサービス
修理人のハヤシショウタです。
今回はなぜ修理人になったのかに関して文章を書こうと思います。
この文章を書いたところで修理依頼がわんさか来るとは思えませんが、
修理依頼を検討している方にどんな人間が修理をしているのかについて
知ってもらう事で少しでも安心感をもって依頼いただけるように
今回文章を書くことにしました。
1/1で修理をしてみようと考えていただいている方に見ていただければと思います!
私は修理に携わるまではごく一般的な人生を送ってきたように思います。
家の近くの高校に通い、近所の大学を卒業し、一般企業で働く。
文字化しても人生を振り返っても特色のないそんな人生だった
そんな風に思っていましたし、そのことで自分に対しても不満がありました。
自分が特別ではないと分かってはいるものの何か自分にしかできないことを
やってみたい。そんなことを漠然と考えて会社を辞めました。
会社を辞めたらお金はなくなっていくけれど、今までにないほどの
膨大な時間を手にした私は時間とお金の許す限りやりたいことをやり、
今後の自分について考えました。
自分は何ができるのか?何になりたいのか?
自分の特徴や理解できない社会の考進み方など、、
そんな少しばかり子供じみた自問自答を繰り返し、
今後どうしていきたいのかがまとまってきました。
・自分は多くの人を幸せにするのではなく自分を頼ってくれた
人たちを自分のできることで少しでも助けたい。
・大量に物を生産し消費する使い捨ての考え方が嫌い。
言い換えると今あるモノを大切にしたい
・自分の好きなものに携わり、情熱を持ち仕事を行う。
こういった考え方は父方、母方の祖父からの影響が大きく、
父方の祖父はモノを大切にする人で、実はフィルムカメラを
始めた切っ掛けは祖父が初任給で買ったキヤノンVLを譲ってくれたのが
始まりだった。
![](https://oneoveronefilm.com/wp-content/uploads/2023/09/DSC_0045-のコピー-1024x1024.jpg)
このカメラがなければ私はこの業界に足を踏み入れることも、
もしかすると
カメラ?ケータイのカメラで十分。なんて言っていたかもしれない。
そんな運命の1台というものに私は大学生の時に出会っていた。
余談ではあるが、もし家が火事になったら最初に持って出るのはこのカメラと決めている。
母方の祖父は左官屋で職人だった。
よくミニ四駆を買ってもらってバラバラにしては
組み上げられなかったなんてこともあり、その時にはもう
”分解する”という事を幼いながら始めていた。
手を動かすという事はこの時から好きで、これも立派な
きっかけであると私は思っている。
こちらに出てくるときにも職人としてのアドバイスを貰っていた。
10台ほどあったミニ四駆は私の記憶している限り
1台しか動くものは残っていなかった。ような、、、
すこし余談が過ぎますね。
”物を大切にする”
”手を動かして仕事をする”
”好きなものに携わる”
自分の軸にしている考え方は
自分のバックグラウンドから来ているものだと気が付いたのです。
だから私は地元京都を飛び出し、東京でカメラ修理を始めた。
老舗カメラ修理店にて3年技術習得を行い、この度独立することとなりました。
独立してどのような名前の店にするか考えた際に
自身の名前を使うか、地名を使うかなど考えましたが、
自分の考え方を店名に入れようとおもい1/1(イチブンノイチ)と
名付けた次第です。
今後何台もカメラを修理していくけれど
常に1台1台にしっかりと向き合うという意思を1/1という名前で
表現しました。
![](https://oneoveronefilm.com/wp-content/uploads/2023/09/⑥太線に-のコピー2.jpg)
自分にできることをしっかりとやっていけたらと思っております。
修理のご依頼やご相談お待ちしております。
今後ともよろしくお願いいたします。
1/1 repairer ハヤシ ショウタ