なぜフィルムカメラを使うのか。
こんにちは1/1フィルムカメラサービス修理人 ハヤシ ショウタです。
今回はなぜフィルムを使うのか個人的な意見をお話していきたいと思います。
フィルムを使う理由は様々。どんな理由でもいいと思います。
エモいだとかなんだとか、エモいの使い方は最後の最後まで的確にはわかりませんでしたが、、、
僕がなぜフィルム、フィルムカメラを使うのか。
お金もかかるし、時間もかかる。
時代と逆行したモノではあると思っています。
フィルムを使う理由は自分の中で変わりつつあって、初めのころは
デジタルにないフィルムの”制限”というものが珍しく、面白かったんだと思います。
何千枚も撮れるSDカードが当たり前だった自分に立ったの36枚や24枚しか撮れないそんな
1枚に対する価値観の差や
今まで撮ってすぐに確認できた写真は現像するまで確認できないという
あまり体験したことのなかった”もどかしさ”というものが
デジタルカメラが当たり前に思っていた自分にはとてつもない衝撃だった。
”制限”や”もどかしさ”というのはアナログの特徴であると思いますし、
デジタルからは得られない感情だったと思います。
世の中が便利に素早くなっていくにつれてなんとなく
自分たちは何か大きなものをなくしていってるような気がしてならないです。
どんどんと生きていく充足感がなくなって
簡単に便利に何事もこなせることで満足感がなくなる。
そんな失われつつある満足感をフィルムに求めていたのかもしれません。
最近は自分でプリントをするようになって写真とは何か?
という事を写真家でもない自分が考えだしまして、写真が何か?というのは
漠然としすぎていたのでよくわかりませんが、自分の中で写真はどうあるべきか
と考えたら、写真は記録として人生の栞のような存在であってほしいと思うようになりました。
その写真を見た時に思い出すその時考えていたことや
できれば空気感みたいな物を思い出すモノとして残っていてほしい。
デジタルでもそれはできるのではないかと思われると思いますが、
これは自分だけかもしれませんが、デジタルの写真はあまり
見返してその時の感情や取り巻く空気を感じることができない気がします。
なぜそうなるか?それはおそらく膨大な量の写真のなかの1枚だからであり、
撮って消せるその写真には重みというものが僕の場合見出せなかった。
だからこそ見返す気にならないし、見返しても何か自分が感じるものが
薄いように思えます。
何かのタイミングで、絵を描く機会があり
自由になんでも描いていいよと白い紙を渡されて
私は何も描けなかったことを思い出したんです。
大きすぎる自由は時に何もできなくさせるものだと
その時の体験を思い出しました。
その時もおそらくテーマとかちょっとした何か制限というものを
設けてもらえれば私は何かを描くことができたし、
生み出すことができたと思う。
だから制限と聞くとなんだか悪いイメージを持つかもしれないですが、
私個人にとっては制限というのは必要なものなのです。
これはわかる人にはわかると思いますが、
万人受けするような意見ではないような気もしています。
少しの制限というものが自分には合っている。
その点でもフィルムを今でも使う理由なのではないかと思います。
誰かに理解されなくても自分の中で理解できればそれで問題ないし、
何かをする上でこれ以上の理由はないと思います。
私はなくなってしましそうな大切な物事を
なくさないようにこれからもフィルムを使うと思う。
(高くなったけどね)
余談ですがamazonには一応業務用100のページがあるみたいです。
もちろん買えないけど。一応貼り付けておきます。
1/1 repaire ハヤシ ショウタ